病院発覚まで③〜緊急搬送②(2021.1.5)

こんにちは。Tリンパ芽球性リンパ腫の8ヶ月に渡る入院での治療が終了して、最後の維持療法(74週)がはじまったばかりの4才ゆーたんのママです。

維持療法7週目です。

今日は前回の続きです。

病気発覚まで①〜予兆〜

病気発覚まで②〜緊急搬送①〜

2021年1月5日の15時過ぎにF病院へ。

診察後、すぐに酸素を吸入。

PCR検査に採血、点滴。

どれもはじめてのゆーたん。私は外に出されてゆーたん一人で頑張っていた。部屋の中からは当然泣き声が聞こえた。

なかなか呼吸状態がよくならず、何度も酸素吸入。部屋が暑くて洋服を脱がせてヒートテック一枚にした。

ゆーたん不安そうで寝ながら酸素吸入ができないから、抱っこで私が吸入器をおさえて吸入させた。それでも吸入を嫌がる。

16時過ぎに入院がきまる。

そしてレントゲンとCT。CTは正直撮った覚えがないのだけれど、当時の母へのラインにレントゲンが終わりCTを撮っているとメッセージが残っていた。

覚えているのは点滴がつながっていたので、明るい笑顔が素敵な看護師さんが二人、検査へ付き添ってくれた。

レントゲンかCTかわからないけど、撮っている間に男の子は大きくなっても可愛いみたいな話をした。

その看護師さんも男の子のお子さんがいるとのこと。

話しながらぼんやりと、もしかしたらゆーたんは大変な病気なのかもしれないと思った。

もしかしたら病気が見つかり、大きくならないんじゃないかと最悪の状況さえ思ってしまった。

17時前に肺に水が溜まっていて、普通の肺炎ではなさそうとのことで、小児のICUがあるT病院へ救急車で運ばれることになった。

肺炎でも水はたまるが、そのレベルの量ではないと言われた。

もしICUへ入院の場合は付き添いはできないと知らされた。

肺炎じゃない?ICU?救急車?

目の前の現状が受け入れられない。

とりあえず救急車を待つ間、病院についてから何も飲んでいなかったゆーたんに飲み物をあたえた。

オレンジジュース。

ゆーたんが最後に口にした飲み物。

救急隊員が着くとすぐに救急車へ。

ストレッチャーに乗りたがらないので抱っこで救急車。

大量の荷物とベビーカーと共に救急車へ乗り込んだ。

ゆーたんはもちろん、私も初救急車。

乗る前に、「ゆーたん救急車だよー」と教えたけど検査疲れでぐったり。

救急車の中でも抱っこで呼吸器をおさえ酸素を吸入。揺れと疲れでゆーたんは寝てしまった。

この時も私は検査疲れでぐったりしてるとばかり思っていたけど、実際はかなり呼吸状態も悪く、後々の治療サマリーには運ばれる途中でだんだん状況が悪化していったと書かれていた。

救急車の中はピーポーピーポーとかなりうるさかった。

救急車の中でパパへ連絡。さすがにただの肺炎ではなさそうなので、搬送先の病院へ来てもらうことにした。

30分くらい救急車へ乗り、着くとすぐに小児のICUへ。

ゆーたんを抱っこしながら、早足でむかった。

救急隊員の方がベビーカーを運んでくれてそのままICUへはいった。

この時コロナが急激に増えていた時期だった。

手の消毒もせず、ベビーカーもそのままICUへ入ったことに少し不安を抱きながらも、その先はまるでドラマのようだった。

既往歴と生まれた時の状態と、1ヶ月前に額を深く怪我をしたので、その傷について尋ねられたことを覚えている。

あとはバタバタと先生方が何やら確認。

そして人工呼吸器をつけて、気管挿管すると説明された。眠らせてから詳しい検査をするとも言われた。

いくつかの書類にサインをしたけど、どれも何も覚えていない。

とにかく眠らせるので眠ったら起きないし、気管挿管している間はしゃべれないとのこと。

それはいつまで続くかはわからないとのこと。

不安でたまらなかった。

パパがくるまで待てないか聞いたけど今すぐと言われた。

すかさず先生に写真と動画を撮っていいか尋ねた。

ゆーたんはとても苦しそう。でも、もしかしたらもうゆーたんには会えなくなってしまうんじゃないか。

そう思うとパパに見せるためにも撮らないとと思い、カメラを向けた。

本当に苦しそうなゆーたん…

そんな中でももうゆーたんと話せなくなるかもしれないと、ゆーたんに大好きだよと何度も伝えた。

ゆーたんからも大好きを聞きたくて、こんなに苦しそうなのに、「ゆーたんは?ゆーたんはママのこと好き?」と聞いた。

「大好き」と小さな苦しそうな声で答えてくれた。

そして、先生が眠くなる薬を吸わせた。

手を握って頭をなでて、「大丈夫だよ〜。苦しいのなくなるからね。少しねんねだよ。」と声をかけた。眠る瞬間ゆーたんがニコ〜っとした。

もちろん、それは本当の笑顔ではないことはわかった。

筋肉がゆるんだものによるものだということもわかった。

でも、眠る前の顔が笑顔でよかった。ずっと苦しそうだったなら。

その後ICUでの面会時、寝ているゆーたんの前で何度もその笑顔を思い出しては涙した。

そのあとは処置になるので、私はいったん外へ出た。

19時20分。

パパが会社から病院へ向かった。

家に来てくれている両親へも電話をした。

おねえちゃんが心配でなかなか眠れないと聞いた。

処置中ひとりでものすごく不安だった。ぼーっと携帯をみたら、コロナの感染者数が過去最高になっていた。

こんなコロナ禍なのに、次々と病院を紹介してくれてよかったと思った。

1時間くらいして処置が終わりゆーたんにあった。

全身に管が繋がってるからびっくりするかもしれませんが…と言われ案内された。

涙が止まらなかった。

そしてパパが来た。

管に繋がれて眠らされているゆーたんに、パパが呼びかけた。

「ゆーたん、どうした〜」と。

もっと早くパパに来てほしいと言えばよかった。

紹介先で入院が決まった時点ですぐにきて貰えばよかった。

最初の病院で入院かもしれないと言われた時にすぐに帰ってきて貰えばよかった。

そしたら眠る前のゆーたんに会えたのに…

このことはゆーたんが目覚めるまでずっと後悔していた。

ゆーたんとの対面も束の間、詳しい検査をするため、私たちは外で待つことになった。

救急車でそのままICUへ入ったので検温をしていなかった。熱をはかったら37.7。

2つ目の病院では熱はなかった。

おそらく泣きすぎたからだと思うけど、隔離されてしまった。

パパがコンビニで飲み物を買ってきてくれてた。

検査が終わるのを待っている間、怖くて怖くてたまらなかった。

嫌なことばかり考えてしまう。

1時間くらい待っただろうか。検査が終わりまた寝ているゆーたんの元へ。

そしてゆーたんの側で先生から説明された。

造影CTを撮影した結果、肺に20センチの腫瘍があると告げられた。

現段階では悪性か良性かの判断はできない。

明日以降詳しい検査をするとのこと。良性の場合手術でとりのぞく。悪性の場合はここの病院では治療ができないので転院になると言われた。

先生が何を言っているのかわからなかった。

私がこの時聞いた話はここまで。

とても先生の話を聞き続けることができなかった。

泣きながら左側にいたゆーたんの元へ。

ゆーたんの手を握りながら、ゆーたんに話しかけた。

一人の看護師さんが付き添ってくれ背中をさすってくれ、過呼吸にならないよう、サポートしてくださり、泣きじゃくっている私の話を静かにきいてくれた。

今朝まで痰がからんだ咳はしていたけど、元気だった。普通に歩いていたし、話していたし、病院だっていった。紹介された病院にも電車でいった。

なのに今ゆーたんは人口呼吸器をとりつけられ、肺に腫瘍があると言われた。

ただただ泣きじゃくる私とは反対に、パパは真剣に先生の話を聞いていた。

パパが病院にきてくれてよかった。

最後まで私は先生の話に戻ることなくゆーたんの側で手を握っていた。

先生との話が終わりパパもゆーたんの元へ。

当然ゆーたんは連れて帰れないが私たちは付き添えないので帰ることになった。

もうしばらくゆーたんの側にいたいと看護師さんにお願いしたら、時計をみて23時くらいまでなら…と仰ってくださった。

この時22時45分くらいだったと思う。

今朝、爪が長かったのに切る時間がなくて伸びたままだった。

このまま寝ている間もどんどん伸びてしまうので、看護師さんに爪切りをお願いした。

そしたら、ママがやりますか?といって爪切りを渡してくれた。

優しくゆーたんの手を握り爪をきった。

パパと一緒にゆーたんに話しかけ、後ろ髪をひかれる思いだったが23時にICUをでた。

先生も見送ってくださったので、先程の無礼をお詫びした。

何かあったらなんでも聞いてくださいと仰ってくれた。

救急車で運んでもらったベビーカーをゆーたんは乗せずに帰ることになった。

看護師さんが出口まで案内してくれた。

先程初めて会った看護師さんなのに、私の気持ちに寄り添ってくれて別れ際涙を浮かべ、「しっかり食べて休んでください」と励まして下さった。

この後C病院に転院治療となったがこれまでに一緒に泣いてくれた看護師さんはただひとり。この看護師さんだけだった。

この看護師さんには1番不安な時に本当によくしていただいた。

転院後こちらの病院の先生と看護師さんへ感謝の気持ちを込めて手紙を書いて送った。

ICUを出てタクシーに乗る前に家で待っていてくれている母に電話をしてゆーたんの状況を話した。

パパは会社の上司に電話をしてしばらく休みをもらうことにした。

家に着いたの時には24時を過ぎていた。

今日おきたことが信じられなかった。

帰ってから眠っているおねえちゃんの横でまた涙が止まらなかった。昨日まで隣で寝ていたゆーたんの布団がからっぽ。

頭の中は、「なんで?なんでゆーたんが?」を繰り返している。

病院では一切泣いていなかったパパが泣いていた。

今朝まで家族が揃っているのは当たり前だった。

当たり前の毎日がゆーたんの緊急搬送により突然崩れ当たり前でなくなった。

これからのことが不安で怖くてたまらなくて一睡もできなかった。

続きはこちら

病気発覚まで④〜告知①〜

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