病気発覚まで②〜緊急搬送①(2021.1.5)〜

こんにちは。Tリンパ芽球性リンパ腫の8ヶ月に渡る入院での治療が終了して、最後の維持療法(74週)がはじまったばかりの4才ゆーたんのママです。

維持療法7週目です。

今日もゼーゼー、痰が絡んだ感じだったので少し心配です。

今日は前回の続きです。

病気発覚まで①予兆

ゆーたんが緊急搬送され、そのまま小児ICUに入院となった日のことを書きます。

ゆーたんが入院したこの日から一般病棟に移動するまでの1週間は日記もブログの下書きもしていなかったので、私の記憶のみです。

今でも当時のことを思い出すと辛いですが、ゆーたんの病気の記録を残すと共に、同じ病気で闘病されている方の少しでも役に経つにことを願って記します。

2021年1月5日

年末年始は実家に帰っていて、1月4日の夜、車で自宅まで送ってもらった。

車の中でもゆーたんは暑い暑いというので、窓をあけてうちわであおいであげていた。

相変わらず咳で寝苦しそうで何度か起きる。

朝起きても咳はでているし、おねえちゃんも11月からずっと咳と鼻水がなおらないので、この日はゆーたんもかかりつけの小児科へ連れて行った。

お正月休み明けで結構混んでいた。

3才を過ぎてもおっぱいを飲んでいるゆーたん。

この日も横になっていた私の上にのってきて、左のおっぱいを飲みにきた。

飲みながら携帯で待ち時間を確認すると、思っていたよりも早く診察の順番が近づいていたので、準備するためにおっぱいをやめさせた。

ゆーたんはこっちのパイパイも飲むと、右のおっぱいも飲みだがっていたけど、時間がないのでまたあとでね。と言った。

これがゆーたん最後のおっぱい。

あんなにおっぱいが大好きで毎日何度も飲んでいたのに、あっけなく終了。

授乳って経験したことある人ならわかってくれると思うけど、赤ちゃんとの大切な大切な時間。

最初は一日に何度も。眠い時も起きて本当に辛いけど、だけどやっぱりかけがえのない時間。

終わってしまうと一人目もそうだったけど、虚無感。

ゆーたんにいたっては、後悔しかない。

せめて反対側のおっぱいを飲ませてあげていたらよかった。

ゆーたん入院後もしばらく搾乳機でおっぱいを絞っていた。

ゆーたんが目を覚ました時、飲みたいと言った時、飲ませてあげられるように、おっぱいが出なくならないように必死でしぼった。

でも、全然しぼれない。

元々ゆーたんがちっとも飲んでなかったからなのか、それともストレスで出なくなっているからなのか…

それでもしばらく絞り続けた。でもパパとも付き添いを交代しないとやっていけないので、そうなるとおっぱいに頼ることはできない。

最後に一口でも飲ませてあげたいと心から思ったけど、一度でも飲ませてしまうとおっぱいを思い出してママ以外受け付けなくなる。

目覚めたあと、もしパイパイといわれたらあげてしまっただろうけど、ゆーたんは言わなかった。

私は搾乳も諦めた。

その後、3月くらいに、夜中パイパイが飲みたいと胸をさわって夜泣きする日々が続いた。

断乳の話が長くなってしまいましたが、最後のおっぱいを飲み、ベビーカーで病院へ。

病院へ着くと問診票に咳がでていて、苦しそうと書いたので、看護師さんが指にはさみ酸素濃度をはかってくれた。

数値がよくなかったようで、すぐに診察となった。

すると右肺の音がまったく聞こえないから、肺炎の可能性が高い。入院になると思うからと少し大きいF病院へ紹介状をかいてくれた。

本当は家から近い病院がよかったけど、ちょうどコロナのクラスターが発生してしまい電話が繋がらなかった。

場所もよくわからないF病院。

とりあえず、明日から学校がはじまる小2のおねえちゃんをどうにかしなきゃと思い実家に父にまず電車で家まで来てもらった。

まだ新学期の用意をしていなかったので、家に帰り新学期の用意をした。赤ちゃんの頃の写真を新学期早々に持っていかないといけなかったのに、準備をしていなかった。

急いで写真を準備した。

この時の私は風邪をこじらせた肺炎になってしまっただけだと思っていたので、まずは家に置いて行くおねえちゃんのことをしっかりしてあげなきゃと思い、抜けがないように準備した。

そして、入院準備。

何を持っていけばよいのかわからなかったので、とりあえず2、3日分の着替えと飲み物とお菓子とオムツを詰めた。

足りないものはあとで車でくる母に持ってきてもらおうと準備をしたけど、それなりの荷物になった。

タクシーを使おうかとも思ったけど、とにかく荷物が多いのでベビーカーに荷物を乗せて、おねえちゃんの薬を取りに行きがてら15時前頃やっと駅へ向かった。

おねえちゃんはママとゆーたんが行ってしまうことに不安を抱き泣いていた。

泣きながらゆーたんとバイバイした。

まさかこの後兄弟が3ヶ月も会えなくなるとは思わなかった。

電車にのって、おやつを食べた。

チョコの入ったマシュマロ。

ゆーたんが最後に食べたもの。

その後病院までの間ゆーたんはベビーカーで寝てしまった。

駅について、人に道を聞きながら病院についた。

救急へ。

遅かったですねみたいなことを言われた。

ゆーたんを起こして診察。

少し長くなってしまったので、続きは次のブログで。

2020年12月25日

ゆーたん入院10日前。

サンタさんからのプレゼント!プラレールのパーシーだったよ。この後実家に帰ったのでパーシーとはまったく遊ばず入院となってしまった。

夜は従姉妹たちとクリスマスパーティー!

クリスマスまでは本当に元気いっぱいで楽しかったね。。。

続きはこちら

病気発覚まで③〜緊急搬送②〜

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