こんにちは。2021年8月末にTリンパ芽球性リンパ腫の8ヶ月に渡る入院での治療が終了して、最後の維持療法(全74週)治療中の4才ゆーたんのママです。
維持療法19週目です。
1月8日。
1年前の今日、ゆーたんはC病院のICUへ転院した。
たった一人で救急車に乗って…
私たちはゆーたんがC病院へ到着する11時半を目処に向かった。はじめて行くC病院。受付でICUの場所を聞きむかった。
C病院のICUは年末に新しくなったばかり。待合室、トイレ、すべてが新しい。新しいけど、無機質。寂しさを感じた。
長い時間待って1人だけ面会の許可がでた。
パパが譲ってくれて中に入った。
転院前の病院は小児専用ICUだったが、C病院のICUは普通に大人もいた。
すごく広く、一番奥にゆーたんはいた。
2日ぶりのゆーたん。
涙がとまらない。
転院し、本格的な治療がはじまった。
このブログをかきはじめたのは、ちょうど1年前の今日。
やっと1年。
そして1年後の今日。3連休の初日。
昨日たっぷり雪遊びをしたので、今日はのんびり家で過ごした。
ケンカもたくさんするけど、大好きなおねえちゃんと。おねえちゃんの学校がお休みだとゆーたんは大喜び。
今日は5つ上のおねえちゃんの話。
ゆーたんが入院したのは、おねえちゃんが小2の冬休み最終日。
最初に言われた入院期間は1年。
おねえちゃんへは、3年生が終わる頃にはゆーたんは退院できると話した。
おねえちゃんにとっても、私にとってもそれは果てしなく長く感じた。
ゆーたんが入院直後は心配するほどのから元気だった。
ゆーたんがICUからでて付き添い入院がはじまると、ママがいないながらも何とか頑張ってくれた。
パパが1月、2月仕事を休んで積極的にゆーたんの付き添いをしてくれたので、私もおねえちゃんと週の半分を過ごすことができた。
3月になり、平日にママがゆーたんの付き添いになると、今までがんばってくれていたおねえちゃんが一気に崩れた。
学校から帰ってくると大泣きでテレビ電話をかけてくる。
実母や義母がきてくれている日はなんとか落ち着いているけど、パパだけだとどうにもならない。
朝も起きてから出かけるまで、学校へ行くまでテレビ電話が繋がっている。
そして強迫障害がでてしまった。
学校から帰ってくるとひたすら手を洗っている。
一度汚いと思ってしまうとずーーーっと気になり、汚いものが触れたところが気になり、言われるがままに掃除をしたり、洗濯をしていた。
上履きが汚いと言い出した時は、雑巾を持って学校まで一緒にいき、ふいてあげた。
手提げや防災頭巾カバーが汚いといったときは、朝昇降口でまっていて、持ち帰った。
机や椅子が汚いといったときは、担任の先生に連絡帳で掃除の手伝いをお願いした。
完全に強迫障害の症状だったので、かかりつけ医に精神科への紹介状をお願いした。
ゆーたんの入院しているC病院に紹介状をかいてもらった。
さっそく、外来へいき予約の手続きをしようとするものの、門前払い。
まず予約はとれない。奇跡的にとれても3ヶ月後。
そんなに待てない。
近くの精神科もこども専用はどこもそんな感じだった。
ゆーたんが入院してまもなく、薬の副作用で眠れず夜泣きをしていた。
その時から緩和ケアチームの精神科や心理士さんが週に一度尋ねてきてくれていた。
3月になりゆーたんはすっかり元気になっていたので、緩和ケアチームがきてくれるとゆーたんのことより、おねえちゃんのことをメインに相談にのってもらっていた。
同時に回診のときに、先生方にもお姉ちゃんの様子を伝え、精神科に紹介状をかいてもらったけど、門前払いだったことをこぼした。
すると、血液チームの一番えらい先生が、なんとかすると仰ってくださり、裏から予約をいれてくれた。しかも翌週に。
さらに、入院して以来コロナで誰にも外泊も一時退院も許可されていなかったけど、ちょうど緊急事態宣言もあけたこともあり、一時退院もさせてくれることになった。
一番ひどくなって、どうしたらよいのか絶望的だった時の病院受診に一時退院。
おねえちゃんのこと含めゆーたんの治療です。
と言ってくださった主治医の先生。
本当にありがたかった。
一時退院は春休みにかぶり、春休みのほとんどを家族で過ごすことができた。
春休みが終わる数日前に再入院した。一時退院中は症状がおちついていたが、新学期がはじまると同時に学校をついに行き渋るようになった。
ゆーたんの治療が1週間投薬、1週間飲み薬飲みのクールにはいったので、先生方のご配慮で1週おきに一時退院をさせてくれた。
強迫障害は精神科の先生の助言を参考に過ごしていたら、なくなった。
でも、学校の行きしぶりは続いていた。
長くなってしまったので、続きはまた次回!
強迫障害をどのように治していったのかをまとめたいと思います。
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