こんにちは。2021年8月末にTリンパ芽球性リンパ腫の8ヶ月に渡る入院での治療が終了して、最後の維持療法(全74週)がはじまったばかりの4才ゆーたんのママです。
維持療法18週目です。
今日は大晦日。
朝、窓の外をみると雪がうっすら!雪というかあられかな〜つぶつぶしていた。
おねえちゃんと一緒に雪をかき集め、小さな雪だるまと雪うさぎを作った。
毎日天気予報で日本海側の大雪予報を見ては羨ましがっていた2人。少しだったけど雪をさわれてよかったね!来年は雪遊びにいけるかなー?
2021年も残すところあと数時間。
今年は1月5日にゆーたんがICUに緊急入院。
まさかまさかの、ガン宣告。
ゆーたんがICUに入っていた1週間。毎日泣くことしできず、ひたすらよくなることを祈る日々だった。
ICUから出て本格的に治療がはじまった。
ステロイドの副作用がひどく出てかなり辛そうだった。親のわたしたちも慣れない付き添い入院がはじまり、かなり過酷だった。
病院ではママと一緒がいいゆーたん、家ではママがいいと泣いているおねえちゃん。
今まで仕事ばかりだったパパもゆーたんが入院してから2ヶ月間も仕事を休んで一緒にがんばってくれた。だけど、2人ともママがいいと泣いてどうにもならない日々が続いた。
パパが仕事を再開してからは私が病院にいる時間が多くなったので、おねえちゃんは強迫障害を患ってしまった。
病院にいても、家にいてもどちらかが泣き、常に泣いている方からテレビ電話が繋がっている状況。
こんなにも体が2つ欲しいと思ったことはなかった。
なかなかゴールが見えなかったが、治ることをただただ信じて、家族みんなで頑張った。
両親、義両親、弟家族、そしてママ友たち。周りのみんなにたくさん助けてもらいながら、なんとか乗り越えた。
怒涛の1年だった。
1年前の大晦日、まさか2021年がこんな1年になるとは思いもしなかった。
そして今年の1月、ガン宣告をされた後、まさか今年の大晦日をこんなに元気なゆーたんと過ごすことができるとは思いもしなかった。
ゆーたん本当にがんばったね。
こんなに大変な1年はゆーたんの人生においてもう二度と来ない。私の人生にも。そう信じている。
こんなに辛い治療を乗り越えたゆーたんは、この先どんな困難がおきても、きっと乗り越えられる。
そして弟の入院、闘病でいつも通りの生活を送ることができなくなったおねえちゃん。
モヤモヤすると毎日言っていて学校に行くことができなくなってしまった。保健室の先生は信頼関係が築けたので、保健室で過ごして教室へ行く日々が続いた。
何とかゆーたんの退院までがんばってくれたおねえちゃん。
退院して数ヶ月。
久しぶりに会う看護師さんや先生、クリーンのママたちに必ずおねえちゃんはどう?と聞かれる。
ゆーたんがプレイルームで遊んでいる時も、お散歩に行く時もテレビ電話つながっていたもんね。
みんなゆーたんと同じくらいおねえちゃんのことを心配してくれている。
ゆーたんは8月27日に退院。何とか夏休み中に退院できたので、おねえちゃんは9月1日の新学期かは以前のように登校ができるようになった。
学校に行く時、ママとゆーたんがいる。
帰ってからも、宿題をやっている時も、寝る時もいる。
やっと戻ったおねえちゃんの日常。
家族そろって9月にゆーたんの4才のお誕生日をお祝いすることができた。
11月にはおねえちゃんの9才のお誕生日をお祝いした。
そして12月、近場に1拍旅行へいき、クリスマスも家でみんなで過ごすことができた。
当たり前に来る毎日がこんなにも幸せなこととはゆーたんが入院するまで気がつかなかった。
本当に幸せな日々を過ごしている。
クリスマスの数日前にゆーたんのクリーン仲間のお兄ちゃんが旅立ったと人づてに聞いた。
少し前に別のクリーン仲間も旅立ったばかり…
元気だった頃を知っているだけに、未だに信じられない。
お兄ちゃんのママは現役の小学校の養護の先生。とても話しやすいママで、何度もおねえちゃんのことを相談していた。
いつも親身に話を聞いてくださり、励ましとアドバイスをしてもらっていた。
本当にお世話になった。入院しながら毎日個人面談をしてもらっていたようなもの。
退院するときは、
「元気に退院するゆーたんは私たちの希望だよ。」
「がんばってね」
と最後まで励ましてくれた。
その時お兄ちゃんは移植が生着した直後だったので、血液の状態がよくなればすぐに退院するものだと思っていた。。。
退院してから外来へ行くたびに、お兄ちゃんの体調が思わしくないことは耳にしていた。
でも、まさか旅立ってしまうとは思いもしなかった。
また突きつけられた現実。
ゆーたんの世界。
苦しい。
もうすぐ2022年。
小児がんが100%治る時代が来ることを願って。